2015年09月23日

今考えると、初々しい


なんかドイツに行って来たから、改めて「フランス、フランス人」のことを考えてしまう。まあ、フランス人だけではないけれど、西洋世界では人間が自然界も含めた頂点にいるという考え方が中心にある。ルイ十四世のベルサイユ宮殿へ水を運ぶ巨大ポンプ「マルリーの機械」が象徴するように、自然さえ手中に収めようとするのである。

日本人も含めて東洋人にはあまりないような気がする。「自然界の一部に我々がいる」という皮膚感覚みたいなものがあるから、諸々の刹那を感じたりもする。うん、なんかね、我々は「己を消す術」を知っているような気がするのである。

たとえば、私はジャズのピアノ弾きだけれど、自己顕示欲とか俺が世界で一番だっ! とこう
いったもの、それほどない。もう、是非是非、俺の音楽を聴けっ! これもあまりない。うーーーん、年のせい? 分からないねぇー。なんか、どうしても最終、自分のために弾いているという感じもややある。自己鍛錬とか修練とか、結局、そういうものから解放されるためにやっているのかしら? 空手家が暴力コントロールのために修練しているような感じ? そうかも知れない。追記、そもそも、ピアノを再開した理由の一つに、内気、シャイ、照れ屋みたいな感じを払拭したかったから。自意識過剰なのだ、こういうのは。再開当時、初めてピアノを弾いたとき、手がぶるぶる震えて酷い演奏を一度だけやっちゃったの、僕。  


Posted by ピアノの練習 at 18:42Comments(0)